いやぁ、数字が全然合わなくて、脱税なのか節税なのかも分からんような状態だったけど、年末年始にジーッと帳簿を精査して何とか対応。
やっぱ実際に自分でやってみないと分からんものです。しかし、お陰で経理にはかなり詳しくなったぞ。
技術者ってのは、ただ「僕は技術の話が好きなんですよ」ってだけでは生き残れんからなな。
自分の持っている技術の単価相場はどの程度とか、勉強用に本を一つ買ったら経費に計上して節税に繋げることでお得に買えるとか、そういう知識も教養として押さえておいた方が人生の進路判断に活かせるのではないか?
それを踏まえると、職務分業制のサラリーマンより何でもござれの個人事業主の方が幅広い教養訓練の場として適していると考え、フリーランス化して本日に至る。
手応えとしては、なかなか良い感じ。(´^ω^`)
技術者からビジネスマンにシフトチェンジしつつある過程とでも言おうか。
今年も頑張っていきたい。
さて、今月の致知は、JR東海の葛西敬之氏。
僕は東海地方出身だから、JR東海は身近な大企業である。
かくして道なき道を切りひらいてきた
この記事で思ったのは「大局観」だなぁ。鉄道というのは、いざプロジェクトを始めて完成するのが50年後だったりするから、凄く長~い先の展望を見据えて進める必要がある。
「東京オリンピックだ。急いで競技場を作れ、オラァ!!」とか、そんな行き当たりばったりじゃダメな職種だそうだ。
これを我々の仕事に置き換えるとどうだろうか?
つまり、今、ここに30歳そこそこの労働者がいるとして、「はい、貴方は25年後にどうしてますか?」って聞かれて、答えがあるか? 無いだろ!!
これが、日本人が伝統的に苦手としている分野なのだ、と最近読んだ「失敗の本質」という本に書かれていたな。
それによると、日本人は「練磨の文化」であるそうだ。
練磨の文化とは、つまりこういうことだ。
ここに、ある仕事人がいるとするでしょ?
その仕事人は、今日、目の前の仕事を頑張るわけよ。
明日は明日の仕事を頑張るわけよ。
これを積み重ねていくことで、長期的展望は一切無いんだけど、頑張った分だけ腕前は確かに磨かれている。
そうして何年か後にはその分野の仕事における達人が誕生する。
これが日本のお家芸だ。
他ならぬ僕自身が正にそれで、僕は社会人1年目の時からプログラマーだった。
最初のプロジェクトがJavaだったからJavaを習得した。次に設計を命ぜられたから設計も覚えた。
それを繰り返すこと14年、今、ここに一人のベテランプログラマーが存在しておる。
これが達人誕生までのストーリーだ。
しかし、ここで問題となるのが、その達人の技量が通用しなくなっちゃった場合だよね。
- (`・ω・´)「COBOLを続けること20年。俺は歴戦のCOBOL職人だ!!」⇒COBOLの案件が無くなった。( ;´Д`)
- (`・ω・´)「電話サポートを続けること20年。このサービスのことなら何でも知っている!!」⇒サービス終了。( ;´Д`)
- (`・ω・´)「我が社に在籍すること20年。我が社の全てを知っている!!」⇒会社が倒産した。( ;´Д`)
みたいな感じに、遠い未来で自分を支えるスキルの大前提が崩れる。
そして後になって振り返ると、「あの時、あの仕事だけに注力するのではなく、もっと違う事に力を入れるべきだったな」とか後悔する羽目になる。
これが日本人の失敗パターンの典型例だ。
鉄道会社で言うと、日々の通勤ラッシュの運行を捌くのとは別に、何十年も先に備えてリニアモーターカーの研究を進めているわけでしょ?
同じように、僕みたいな技術者であっても、今従事している仕事はそれはそれでちゃんとやりつつ、それとは別に何十年先のキャリアに備えをしておく必要がある。
これを怠ると、今年とか来年は問題無いんだけど、遠い未来のいつかどこかで目も当てられない事態になってしまう。今までの努力が無駄と化す。
これが「大局観」だ。
まあ、これについては正しいと思うんだけど、問題は「そんなこと言ったって現実として20年先のイメージなんて湧かない!!」っていうのが正直な所だよね。
これについては、記事に記載されているとおり、「風発」を待つしか無いのかなぁ。
例えば、冒頭に記述した僕の「そうだ。個人事業主になって経理の教養も身に付けておこう。きっと潰しが効きやすくなるに違いない」とか、一昨年くらいに風発したのを去年決行したものだ。
風発⇒決行!!
良い感じに風発が起きることを願って日々常々と習慣的に将来の展望を考えるようにしておき、いざ「これだ!!」というアイデアが風発したら、優柔不断は厳禁。強い決意を以て決行する。
よく言われている話だが、やっぱりこういう風に頑張っていくしか無いのだろうな。
以上
0 件のコメント:
コメントを投稿