• 2019年5月6日月曜日
アリスト戦記
アリスト戦記 https://blog.aristo-solutions.net/2019/05/20196_6.html

致知 2019年6月号「看脚下」読書感想文

看脚下……、読めねえし

致知も読めない人が多いことを察したらしく、特集の一ページ目の第一行に説明があった。
文字通りの意味としては「自分の足元をよく見る」だけど、本質的には、今、自分が何をするべきかという天命をちゃんと見極めろ、という話のようだ。

致知を読んでいるとこういう用語に詳しくなるわい。(´・ω・`)

表紙は明治大学文学部教授の齋藤孝氏。『声に出して読みたい日本語』の作者で、テレビにも出ている有名人だ。

文学部教授か。
そう言えば最近、文系の大学院を卒業したものの職が無くて食い詰める人のニュースを見たけど、才覚があればこういう風に活躍する道もあるんだな。

勉強して知識やスキルを向上させることと、それを世の中に生かして活躍することは、それぞれ違う才能が必要だからな。

僕のようなプログラマー系の人間はスキルを磨くことに余念は無いんだけど、本を読んで勉強して、勉強会にも参加して、「ほら、良い勉強になったよね」で終わってしまうパターンの人間が非常に多い。

対して僕はIT企業社長技術者として、自分自身が技術者であると同時に、営業も経営も自身で進行する。
技術力をただ「面白い技術でしょ?」で終わらせるのでなく、どうやってそのスキルを世の中で発揮するか、という所まで踏み込む所に、通常の技術者と差別化して付加価値とする、というのが生存戦略である。

そういう意味で、文学部教授という学者でありながら出版、テレビ出演まで果たしたタレントもある齋藤孝先生の手腕は大したものだ。

文系、理系の違いはあるけど、僕もこんな風に「スキル」と「活躍」の両方を兼ね備えるようになりたいと思う。

さて、本編に行ってみよう。



小学一年生の学習が人生のレベルを決める

これは難しいな。(;´・ω・`)
教育問題は実に複雑で何とも説明が難しいが、とは言え共感は感じる。

目を止めた部分は「質的な変化を起こすには量的な反復が必要」というところか。

物語の音読を一回、二回だけでは意味が無いが、七回、八回と繰り返すと「この日本語はかっこいい」とか言い出すのだそうだ。

この「恰好良い」と思うというセンス、これが大事だと思う。

IT業界でもこの概念はあって、僕は「ビューティフル」と表現しているんだけど、要件定義、基本設計、製造、テスト、運用保守、それぞれの工程に対して美学が存在している必要がある。

何事にも美学がある。僕が言いたいのはそれだ。

例えばチャーハン一つ取ってもそうだ。
適当に焼いて食えれば良いというものではなく、上出来な焼き上がり、上出来な盛り付け、出来上がりに対する美学が存在する。

この「美学」ってものが理解できない限りは学習とは言えない、というのが僕の考えだ。
要するに、「自分の思う美しい形」に着地させようという意識が無いと何ともならんわけよ。

この感覚を説明するのが難しくって、ワケも分からず言われるがままに作業している輩が確実にいる。
こういう輩に「美学を説く」という所にリーダーとしての手腕があるわけだが……、これが難しい。

また、その「美学」ってのも必ずしも一定していなくて、似たようなプロジェクトを何回か繰り返している間に最も美しい形が定まってくる。
事前に勉強はしていても一発で決まることは無くて、反復で定まるって実感がある。

そういう意味で、齋藤孝先生の「音読・反復」という教育スタイルは、生徒に「美学」を芽生えさせるもの、という解釈で良いのではないだろうか。

美学ってのは本当に何事にもある。

「美学=効率」って面もあるから、国語からIT、料理、机の上の物の配置、朝の電車での位置取りまで、くだらん所まで全てにあって、一挙手一投足の隅々まで美学に基づいて行動出来るようにならないと、人生の効率が下がる。

この記事のタイトルである「人生のレベル」は「合理的行動を身体に染み付かせる」と読み替えると、スッキリ当てはまるのではないか。

この記事を読んで、ただ「反復すれば良いんでしょ?」ではなく、その意味ってものをしっかり理解して反復訓練をしていきたいと思った。

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